対話のアトリエ 第6回

ごあいさつ

こんにちは、対話部です。

私たちは、哲学、人類学、ファシリテーションというそれぞれの専門性を持ちつつ、2011年からこれまで5回のイベントを開催してきました。

長らく都内で暮らし、活動してきた私たちですが、昨年奇しくも時を同じくして、別々の地に移住。
現在、一人は山々に囲まれた福井の大野に、一人は古くからの町並みが残る京都に、一人は海と山に挟まれた鎌倉に移って、暮らしています。

それぞれが新たな土地の影響も受けながら、思索を続ける中、
この度、春暖の3月に、6回目の「対話のアトリエ」を開催する運びとなりました。

今回、私たちが共通のテーマとしたのは「そなえる」。

不測の事態への「そなえる」だけでなく、来るべき生の躍動の瞬間への「そなえる」についてみなさまとともに考えてみたいと思っております。

幾度も出会い、言葉を交わしてきた古くからの友はもちろんのこと、
これまで接点のなかった貴方とも、
いまここでお会いできることを、対話部一同楽しみしています。

概要

先行きの曖昧なまま忙しなく流れていく現代社会
私たちは生きていくことに努めながらも、より良く生きるための手がかりを探している。...

辿ってきた手がかりが、後になって「この時のためだったんだ!」と充実感に包まれる瞬間が訪れることがある。だからといって、その瞬間を目指していたわけでも、狙っていたわけでもない。それでも、たしかにその瞬間は、日々「そなえる」ことの結果として訪れる。

「そなえる」には、将来の不安や防災のような不測の事態のための「そなえる」もあるが、もう一方で、来たるべく躍動の瞬間を手繰り寄せるような「そなえる」もある。

たしかに私たちは、躍動を求めるより前に、生きなければならない。それでも、より良く生きていくためには、躍動へ「そなえる」ことも怠ってはならないように思える。

では、何をどのように「そなえる」べきだろうか。
躍動へ「そなえる」とは、どんな「そなえる」なのか。
また、それはいかにしてなされるのだろうか。

今回の「対話のアトリエ」では、対話部3人の日頃の「そなえる」について話題提供しつつ、参加者皆で「そなえる」について考えてみたいと思います。

この場が来たる一人ひとりの「いつか」につながることを信じて、皆様のご参加を楽しみにお待ちしています。

日時
2019年3月17日(日)
14:00〜17:30(13:40開場)
アクセス
東京メトロ半蔵門線/都営大江戸線「清澄白河」駅より徒歩6分
定員
30名
参加費
3,000円

プログラム(予定)

13:40
開場、受付
14:00
開始
17:30
終了

お申し込み方法

以下のお申し込みフォームからお願いします。
お申し込みフォーム

キャンセルポリシー

申し込みのキャンセルは「3月10日」までとなります。以降のキャンセルは参加費が発生しますので、予めご了承ください。

3つの「そなえる」

もう一つの「みる」 / 古瀬

ものには2つの見方があるという。一つは、ものを「外からみる」のである。対象物の外に立ち、その周りからそれを眺める。...
つまり、この場合、立脚地は外側に無数に存在することになる。もう一つは、ものを「内からみる」のである。ここには、もはや着眼点というものはない。前者は分析の仕方であり、科学である。では、後者は何と呼ぶべきか。哲学者のベルクソンはそれを「直観」と呼び、西田幾多郎は「物自身となって見る」と言った。かつて民藝運動をはじめた柳宗悦は、器を銘柄や型で判断することを拒否して「じかに見る事」を大切にした。いろんな人がいろんなことを言っている。しかし、ふと気づくと、「内からみる」という概念に対して、まさに様々な立脚地(外から)眺めてしまっている自分がいる...。でも、これこそが今の僕がなしうる「そなえる」なのだ。当日は、その少しを分かち合えたらと思います。

方法とその哲学史的素描 / 佐々木

人間関係の改善、結婚、子育て、新事業の成功、作品制作、静かに暮らすこと、よりよく生きること。...
なんでもいいのだが、わたしたちは日々、何らかの目的を達成するための「方法」を求めてやまない。哲学が真理や本質の把握、あるいは事象を正確に把握する概念の創造を目論む限り、哲学にとっても「方法」は、一層強迫的なほど回帰してくる主題となっているのは不思議なことではない。デカルト、スピノザ、カント、ベルクソン、ドゥルーズ…。この会では、彼らの「方法」にまつわるエッセンスを概観していく。そうすることで、今あるいは今後、わたしたちが何らかの「方法」を求めようとする、まさにそのときの「そなえ」をなしつつ、同時に、私たち自身の「方法=そなえ」そのものを再考していく機会としたい。

特別豪雪地帯と生の技術 / 北川

半年前に福井県の山奥に引っ越した。広く知られている土地ではないが、360度山々に囲まれた盆地に人口3万人が住まう奥越地方の特別豪雪地帯・大野である。...
住民の約80%が水道局のインフラと繋がれておらず、各家庭の井戸から地下水を引き上げて暮らす。ひどい時には通勤のために朝4時に起きて雪かきをするなど日々の行動を大きく左右する積雪、天候条件によって水位が変動する地下水とつきあう暮らしにおいて「そなえ」は文字通り生命線である。しかしここでは渋々やっている、というような悲観的な嘆きだけがあるのではない。直線的な未来ではなく、四季のように巡り循環する時間のイメージに支えられて、人々は自らの住む土地への愛を語る。「美しさ」や場所への情動——これを執着と呼んでもいいのかもしれない——を手がかりとして、山とまちの存在のあり方の違い、そして異常気象の時代の「生の技術」について考えていきたい。

対話部と部員3名のプロフィール

対話部taiwabu.com

対話部は、部員3名がそれぞれの持つ専門領域を活かし、暮らしの中で生まれる素朴な疑問について「対話」するユニットです。
忙しなく流れていく現代社会の中で何気なく繰り返される人々の営みを”あえて”問い直し、他者と見方(価値観)を共有し、対話することで、より良い生き方を模索しています。

古瀬 正也Masaya Furuse

1988年埼玉生まれ。神奈川県鎌倉市稲村ガ崎在住。フリーランスのファシリテーター。2008年、ワールド・カフェを体験し、対話に興味を持つ。2010年、47都道府県でワールド・カフェを開催し、延べ1200名が参加。2012年、「古瀬ワークショップデザイン事務所」開業。2013年、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修了。中央省庁や行政、民間企業、NPOなどあらゆる分野で400回以上のワークショップや研修などを実施。最近の自主企画には「〈自由〉に生きうるための探究ゼミ」や「技法以前のファシリテーション」などがある。

佐々木 晃也Koya Sasaki

1989年北海道生まれ。京都市在住。2009年、会話の中で起きる特異的な経験への関心が芽生え、対話の研究を始める。2012年に対話の態度を研究した後、2014年に対話の相互作用分析、2016年に対話を発生させる問いのデザイン過程の研究を行う。対話とその発生を「態度」「相互作用」「問いのデザイン」という三つの観点から科学的に探求するも、科学という「方法」それ自体に限界を感じ、哲学を独学しはじめる。2018年4月に大谷大学大学院文学研究科に進学。現在は、20世紀フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの「方法」を研究している。

北川 真紀Maki Kitagawa

1989年滋賀県生まれ。2009年北タイに住む少数民族・リス族の村を訪れたことをきっかけに人類学に興味を持つ。上智大学英語学科卒業後、<ウルルン滞在記>のような番組制作を夢見てテレビ局に入社。広報、美術展事業、芸術番組のプロデュースを経て2016年に退社。以後、東京大学大学院にて本格的に文化人類学に取り組む(博士課程在籍中)。日本学術振興会特別研究員(DC1)。2018年9月より福井県大野市にて「環境資源、エネルギーと身体感覚」を主要テーマに、地下水、異常気象、狩猟採集、ダム(発電所)建設などを調査中。